2012年1月5日

2012 年頭所感

議員本人からのメッセージを掲載します。



 あけまして おめでとうございます。

 2011年3月11日以来,物に対する見方,人とのかかわり方。いろいろなことを考えさせられました。
 3月末,息子と二人で石巻までヒッチハイクした時,快く載せてくれた人。
 病院へ連絡したくても電話がなく途方にくれてた時,携帯電話を貸してくれた人。
 給水車が来る度,知らせてくれた人。
 人々の優しさが身に染みた年でした。
 人付き合いの苦手な私も,震災後はかなりのお節介者になりました。

 そして福島原発事故。 
今,私は仮設住宅にいますが,人々が今後の生活に抱く不安を手に取るように感じます。
福島で,故郷に帰ることのできない避難生活は,察するに余りあります。
先日一人の若者に「若者が帰れる安全な女川を創って欲しい」と言われました。
 
 原発の安全性・経済性は全て崩れ去りました。巨大な企業の利益を追求する社会ではなく,私たち一人一人が心穏やかに暮らせる「健康で文化的な最低限度の生活」が保障される社会,「若者が安心して帰ることができる女川」を創るため,今年もよろしく御指導くださいますようお願い申し上げます。


       2012・1・3  女川町議会議員 阿部 美紀子

2011年12月17日

12月女川町議会が終わりました。

(選挙期間中,仮設住宅の方の話を聴く阿部美紀子議員)

 12月議会に先だって,阿部美紀子議員の質問書を公開いたしました。
  
 今回は,阿部美紀子議員の質問への須田町長の答弁内容です。
(以下の文章は,議員本人のメモによるものです。レイアウトは変更しています)

<質問1>女川原発の具体的な被害状態,またその修理状況。

        町長答弁  ○全号機 ,安全に止まった。
   → 1号機。屋外重油貯蔵タンクが津波により倒壊 
                        倒壊時貯蔵量600㎘ 
                        高圧電源版の焼損
                ○使用済み燃料プール水が飛散
                        3/13 ふきとりをした
                ○3/11 外部電源5回線のうち1回線のみ使用可
                ○4/7  外部電源5回線のうち1回線のみ使用可
                ○軽微な被害61件
                       そのうち31件修理完了
   
   <質問2>女川復興のために,原発は漁業と共存できるのか? また原発は必要なのか?

          町長答弁 ○これまでも漁業と原発は共存してきたしこれからも共存できる。

     <質問3>これからのエネルギー政策として,原子力政策をどうすべきと考えるのか?
     
         町長答弁 ○国の政策としてやっていく。



 さて,町長は「町民の命と財産を守るのが行政の最大の役目」と発言していました。
 そんなことは当たり前です。それをどうしたら実現できるのか?それこそが大切なのです。
 残念ながら,町長には新たな展望を切り開く能力もなく,震災以前の地方と国の関係=国策や交付金頼みという考えしかないようです。

  

  阿部美紀子議員は,先の記事で紹介した「東北電力の戸別訪問」に関係した質問もしました。
 「東北電力のイベントに,共催となっているのは?」ということです。
 町長は「今までやってきているし,子どもたちも楽しみにしているから」という答弁でした。
 教育長が発言を求めて挙手しましたが,議長が町長を指名したとのことです。

 閉会したあと,教育長と教育総務課長が阿部美紀子議員に「後援という依頼だったので承諾した」と説明したそうです。
 閉会後というところがミソです。議事録に残らない訳ですから。。。。。
 教育長らが言うとおり「後援」依頼だったとしたら,東北電力が勝手に「共催」とした訳です。暴力団がまいの手口です。教育委員会として厳重に抗議すべきですし,謝罪のチラシを全戸配布させる等の手段が必要です。
 そうしたことで行政としての矜持を保つことをしないならば,女川町民全部が「なめられてる」ことになります。私たちは町民全体の名誉のために許すわけにはいきません。

 
 議会は傍聴席が10席程度の仮庁舎で行われました。その傍聴席に「女川原子力発電所 地域総合事務所課長 大友康則氏」がおり,阿部美紀子議員に名刺を出して挨拶にきました。「ある意味を込めて」の挨拶なのでしょうか?




役に立たなかった「オフサイトセンター」2F。燕だけが出入りしていた(6月25日撮影)


2011年12月14日

東北電力の戸別訪問

 12月5日から16日まで,女川原発所員が女川・石巻市牡鹿地区の約4200世帯の戸別訪問を開始しました。

 戸別訪問の目的は当然に「女川原発は安全です」と主張するもの。
 筆者宅には12月7日に来たようで,玄関先にパンフレットとカレンダーが入ったレジ袋が置かれていました。カレンダーはすぐに捨てましたが(笑),パンフレットの内容については後日アップします。

 
 
東北電力のパンフレットと共に入っていたのが,左の写真のチラシです。

 こうした行事は,東北電力の地域懐柔策のその一部に過ぎません。
 女川に限らず原発立地自治体では,そうした地域懐柔策が積み重ねられてきました。
 福島でも,青森でも,新潟でも,北海道でも,そして宮城では大胆に。。。。




 
    チラシの下の部分を拡大しました。
   「共催」団体に注目してください。

 
 この時期にです。福島の原発事故の放射能汚染が子どもたちの健康被害をもたらすことが危惧されるこの時期に。
 今まで「共催」してきたから 今年も名義を載せた…というのだったら,生活再建の見通しさえもてない女川町民の心情とあまりにもかけ離れています。
 
 女川で暮らしを再建していいのか?
 原発事故の影響が軽減される地域に移転した方が子どものためになるのでは? 
 これからの女川を担う子どもを育てている年代層は悩んでいます。
 その人々が女川に住まない限り,女川の「復興」はありえないのです。


 そうした微妙な時期に「共催」として名を提示する女川町と女川町教育委員会。
 悩んでいる人々に,「女川は電力と一体なのだ」と宣言するようなものです。


 ましてや「教育委員会」が。。。子どもの健やかな成長に責任を持つべき教育委員会が,原発の安全性が信用できないということが明らかになったこの時期に,東北電力の「地域懐柔策」にのっているとは!
 
 悲しいくらい鈍感です。。。。。。

 

 
  
 
 

2011年12月7日

12月13日から女川町議会が始まります。

女川原発の敷地の一部:タンクが倒れたのはなぜか?(2011.4.16撮影)


多くのみなさんの支持を得て,阿部美紀子が女川町議会議員として初めての議会に臨みます。

  これまで県内で「反原発」(この言葉には異論がある方もいるでしょうから,カッコでくくります)闘争を担っていた方々と意見交換をして,質問内容を精査しました。

言うまでもなく阿部美紀子議員の仕事は「原発に頼らない女川の復興」で,質問内容は多岐にわたりますが,想いを同じくする全国のみなさんに,阿部美紀子議員の 「原発」に関する質問内容を公開します。

質問事項1   「女川の復興に原発は必要か?」 
          
 福島の原発事故以降,9か月を迎えましたが,福島では15万人ともいわれる人々が,ふるさとにいつ帰ることができるかという当てもなく避難生活を余儀なくされています。

 「広島・長崎・ビキニはアメリカによって落とされた爆弾だが,福島は日本という国家によって落された爆弾だ」。これは福島の方の言葉です。
 子ども達が放射線線量計をつける日常。放射線測定をしながら摂る食事。これが「健康で文化的な最低限度の生活」といえるのだろうか。
 女川町民が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障されるよう,如何に町民を守るのか。原発が一度事故を起こせば,復興計画も水の泡となることは誰の目にも明らかです。
 たまたま女川原発は事故に至らなかった。だからこそ今,脱原発,女川原発の廃炉に取り組む必要があるのではないか。それが「復興」の第一歩であると考えます。

それ故,次の点について伺いたい。
 1.女川原発の具体的な被害状態,またその修理状況。
 2.女川復興のために,原発は漁業と共存できるのか? また原発は必要なのか?
 3.これからのエネルギー政策として,原子力政策をどうすべきと考えるのか? 



 この質問に,須田町長はどう答弁するのでしょうか?
 
 









選挙期間中。ある仮設住宅で「原発に頼らない復興」を訴える阿部美紀子議員。